記事検索
 
 

2006年11月12日

本当に改革できるのは非政治の人

これは政治家に限らずとも、「政治に詳しければ詳しいほど」常識の呪縛に陥っている方々は多いものです。

これまで、「今までの政治を覆す」「出る杭になる」「改革」などという言葉は、

政界においてはAだったものを−Aにする。あるいは、−BだったものをBにするという、

一つの数直線では同じ議論をしてきているのです。
 
 

具体的にいうと、

「戦後教育はだめだ」から「戦前の道徳教育にしよう」とか、

「中国・韓国・北朝鮮に腰が低すぎてきた」だから「靖国神社は参拝するのが当然」とか、

「日本は弱腰外交」だから「ハッキリと権利を主張する外交」とか、

「利権政治の弊害があった」から「競争原理主義でいこう」とか、

「中選挙区制度で政治腐敗になった」から「政権交代の小選挙区にしよう」とか、

とかく、逆をやれば改革であると思い込んでいます。

ここに政治の限界があると思うのです。

つまり、考えがあまりにも浅いために、同じ数直線でしか考えられない。

ちなみに、平和党は上記の政治指針・方向内容については、そのどちらが善でどちらが悪ということではありません。

  

私はここに、政治家及びそれに関わる運動家の人々の貧困性を、身にしみて感じるのです。

「逆をやるのは改革ではない」とするのなら、こういう人たちは「ではその中道?」と考えてしまう。

ここにも頭の中身がまさに、「既存の尺度」内でしか考えられない政治の限界があると思うのです。

  

つまりは、左脳でしか考えられない人々が多くなったのではないかと思います。

これからの政治は、今までの打破をしていかなければなりませんから、大いに右脳が発達した人でないと良い方向にはいかないでしょう。もともと左脳の人々が政治の中で活躍する場所というのは、「官僚機構」です。「前例踏襲主義による弊害」とは、よく言いますが、歴史の中では、官僚機構は平時においては、非常に良く機能するのです。

  

それが、今、社会問題を見てわかるようにいろいろと変革せざるを得なくなってしまったので、機能不全に陥っているだけです。

しからば、行政をコントロールする政治が右脳で動けばいいのですが、彼らもまた左脳で動いているために、新たなものが出てこないのです。

  

そして既存の枠組みで考える事が政治だと、思っているうちは、右脳思考者が出て来れません。

平和党が、受け入れられないのも、こうした左脳思考者による既存の常識というものが大いに邪魔をしているのです。

例えば、「中央集権の弊害があるから地方分権に」と、こういう理屈はわかりやすいけれども、

安倍内閣でなされようとしている地方分権は必ず失敗します。

今の常識の土台で考えているからです。

お金というものは強いところに集まるがゆえに、資本主義を永続させる以上、地方分権はしにくいのです。和歌山県や福島県でおきた汚職事件は、お金というものは強いところに集まるがゆえに起きています。

ここの常識の土台を崩さない限りは不可能です。

  

平和党の提唱することでなにが受け入れられないかというと、今までにない外交路線もそうですが、一番はやはり「自然主義経済」です。

お金を持っていると減価していくので、当然国際社会ではつまはじきに遭うだろうと皆が予測してしまいます。

実は、つまはじきにはならないのですが、あるいはなったとしても工夫はされているのですが、まずは、こうしたことをわかろうとはしないのは、今までいろいろと学んだ知恵というものが邪魔してしまい、とにかく拒否するところから始まります。

  

ですから、政治の限界とは、政治に携わってきた人々の限界でもあるので、私はこうした人々は後回しにして、

むしろ、もっと柔軟な発想を持っている人々が、この改革に参加してくると思っており、現にその流れはできています。

昨日は、愛媛県のある中堅規模の会社役員の方々が上京してこられて、自然主義経済をひろめたいと言って来ました。

また、政治・経済を専門外にしている都内の大学生の方々にも支持され、勉強会にも招かれました。

  
私は、こうした革命的な改革というのは、つねにその時代の主流にいない人々、明治維新であれば足軽の息子であるとか、そうした非エリートこそがそのメンバーになるのではと感じた一日でした。
posted by 平和党代表・大坂佳巨 at 03:12| 福島 ☔| Comment(3) | TrackBack(0) | 組織 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
これまた屁理屈になるかもしれませんが、左右を考える方法は私にはありませんが、とかくこうした意見が多いので、先にいつも書いているのです。平和党は右なのか左なのかわかりづらいとは、いつも言われて、どうしてなんだろうと考えたときに、その人たちの目線で物事をはかる必要もあります。逆にいえば、左右の両方ともを認めているわけで、実際問題としては、左右のどちらかにいながらも平和党を支持する方々も多いこともあります。

自己のみの利害を考えてしまうのが左脳なのだと言います。

世界の偉い方々にとっても、害のない世の中を作ることが大切だと思います。

私は話をはしょる癖があるので、こうしたコメントをいただくと大変ありがたいです。今後の参考になります。ありがとうございました。
Posted by 大坂佳巨 at 2006年11月16日 01:33
そう言って頂けると、私も議論を吹っ掛けて自己満足に浸りたい訳では無いので…安心しました。( ̄□ ̄;
この様な遣り取りによって問題の核心に迫れたら…と、思っています。

結局、私のコメントは、どうしてそういった単純思考に陥って左右に分かれてしまうのか?、何がそうさせるのか?、その原因にスポットを当てたくて書かせて頂いた次第です。結論から言うと私はその原因のひとつが「恐怖」だと思っています。

今の日本の現状も、揺さぶられ、戦争へと誘導されている様に見えます。これで何か、自作自演テロ等起こされたりしたら?
そして、そういった事によって大いに利益を得ている人達が、もし居るとしたら?
勿論、その様な人は居たとしても人類の中のホンの一部だとは思いますが、逆に言えば少数で その他の大多数を良い様にする為には、人々を上下、左右、善悪、敵味方に分断し、いがみ合わせておき、お互いに不安な状態にしておく必要があるというか、それしか方法は無いと思われます。
東郷氏のwebも拝見しましたが、氏のアプローチは「騙される人が居なくなれば騙す人も居なくなる」と、この様に理解しました。素晴らしいと思います。
ただ、こと政治に関しては先ず「騙す人が居る」という認識が騙されない為、あるいは騙す人に変な事をさせない為の思いやり?の観点からも必須と思うのです。そうしないと世界は何度でも同じペテンに引っかかって戦争をさせられる可能性大ではないかと…。

>自己のみの利害を考えてしまうのが左脳なのだと言います。
これはどうなんでしょう?言っているのはニューエイジ系の人が多い様です。
右脳と左脳は2つそろって始めて正常に働くものだと思いますが…。人種によっても左右逆だったり違うみたいですし…。利己的な脳という事なら最も原始的脳と言われているR複合(爬虫類脳とも言われる)部分の方が、名前からして冷血な感じで、自己の利害ばかり考えていそうです。
天台の一念三千の考え方では、地獄、餓鬼、畜生が最も原始的(原因?)で、その結果として必然的に畜生→修羅、餓鬼→天、地獄→人になるという事みたいですが、この結果である修羅、天、人はすぐには畜生etc
に導く原因にならないため、前者が生命(生物?)の本質的部分という見方のようですね。

話それましたが、けっして全てとは言いませんがニューエイジは行き詰まった現代文明用の新たな宗教的色彩が濃い為、これからあらゆる大勢の人達にアプローチし、影響をあたえる(あたえてほしい)大坂さんとしては注意が必要かと思われたので、おせっかいコメントさせて頂きました。
Posted by at 2006年11月16日 20:25
ふーん、そうですか。「西洋科学文明と東洋の宗教チックな文明」という言い方だとオカルト的な感じがする気がして、右脳・左脳という、一見すると医学的なイメージでとらえられるかと思ったんですけど、そうでもないらしいということがわかりました。
とにかく、自己の利害のみで動く事は、自滅を意味しているということなので、なんらかの良い表現があればいいなと思っています。
Posted by 大坂佳巨 at 2006年11月19日 03:58
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/27283677

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。